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G馬場没後20年・・・愛弟子・秋山準「馬場さんのチョップ、とんでもなく痛かった」

G馬場没後20年・・・愛弟子・秋山準「馬場さんのチョップ、とんでもなく痛かった」

1: 名無しさん@恐縮です 2019/01/31(木) 07:45:21.91 ID:XvjWDoKI9
「東洋の巨人」と呼ばれたプロレスラーのジャイアント馬場が61歳で急逝してから1月31日で20年。
馬場と対戦したり、直接教えを受けたりした現役レスラーも数少なくなった。
晩年の馬場に特に目をかけられてきたのが、1992年に馬場の団体、全日本プロレスでデビューした秋山準(49)。
いまも現役であり、全日本プロレスの社長としても活躍する秋山に、馬場の思い出を聞いた。

■初対面で「信用できる」
もともと熱心なプロレスファンではなかったという秋山。長州力、馳浩ら有名プロレスラーが輩出した
専修大学レスリング部に所属していたが、卒業後は普通のサラリーマンになるつもりだった。
そんな彼をプロレスラーの道に引き込んだのが、ジャイアント馬場だったと言う。

「専修大レスリング部で指導をされていた松浪健四郎さん(元衆院議員・現日本体育大学長)に呼ばれて、
誰に会うということも聞かされずに赤坂のキャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)に向かったら、
そこに馬場さんがいらっしゃったんです」

当時のキャピトル東急は、馬場が愛用していたホテル。そこで秋山は馬場からプロレスへの「スカウト」を受けた。
「プロレスに入ったらこれくらい稼げるぞ」といった条件面の話もあったが、印象に強く残ったのは馬場の「笑顔」だった。
「言葉の中身というよりも馬場さんの笑顔や話し方、優しい雰囲気で、『この人は信用できる』と感じさせてくれました」

内定していた企業を蹴り、プロレス界に身を投じることに決めた。馬場はその後、秋山の出身地である大阪に出向き、
秋山の両親に「お願いします」と頭を下げることまでした。

■理詰めで技術を教える
社長業やタレント業で多忙だった馬場。だが巡業の時などは、馬場が直接秋山をはじめとする若手選手のコーチをすることもあった。
その説明は「理論的でわかりやすかった」と言う。

「体を大きくする方法から、最初はどう相手と組むか、相手の手をどう取るか。相手の足や手をどうやって取るのか、
関節を極(き)める(=技から抜け出せなくさせる)のか、投げるのか、理論的に教わった。
デビューに向けてどんどん難易度が上がっていきました。
馬場さんから教わったことは、『プロレスはどこからでも関節を極めることができる』ということ。
自分もアマレスをやって格闘技の知識はありましたが、馬場さんが教えてくれることに疑問点はなかったですね」

さらに、こう続ける。
「例えばロープワークの際、最近のレスラーはロープを手でつかんでから跳ね返る。でも私は馬場さんから、
ロープをつかまず半身でもたれかかると学んだ。体格差もあるのでそうすると、次の攻撃にスムーズに移れるんです。
だから僕は若い選手よりもロープワークが速いんですよ」

細かい技術の積み重ねがリング上の動きに説得力を持たせ、観客の目を引きつける試合につながる。
90年代に全盛期を迎える全日本プロレスの土台には、間違いなく馬場の技術論があった。

団体を率いる立場となり久しぶりに若手選手の練習を見るようになると、
「自分が馬場さんから教わってきたプロレスのテクニックが時代を経て変容している」と感じるようになった。
「表現が難しいのですが、『なぜそう動くのか』という意味を深く考えず、形だけまねて動いている選手も目につく。
それを今は、馬場さんの教えの方向に修正しているところですね」

(続きます)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00000009-sasahi-spo&p=1


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