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全日本プロレス社長・秋山準が激白した三沢光晴との最後の会話…そして“王道”再生への覚悟

2017/02/05

全日本プロレス社長・秋山準が激白した三沢光晴との最後の会話…そして“王道”再生への覚悟

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1: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2016/09/23(金) 15:45:32.49 ID:CAP_USER9

一昨年7月、全日本プロレスの代表取締役社長に就任し、現役レスラーとしても第一線で闘い続けている秋山準(じゅん)が、24年にわたるプロレス人生を赤裸々に明かした。

前編記事(「四天王の中に放り込まれて、ついていくのに必死だった」)では、若手時代の苦悩やノア移籍後の躍進を振り返った秋山。
後編は、三沢光晴さんとの最後の会話、パニック障害との闘い、そして“王道”の再生への決意を語る!

***

ノアは2004年、05年に東京ドーム大会を開催。その人気は新日本を凌駕(りょうが)するほどだったが、以降、その勢いに陰りが見え始める。

09年、ノアは最大の逆風に見舞われる。まず3月に日本テレビの地上波中継が打ち切られた。
そして6月13日の広島大会でのタッグマッチ(三沢光晴&潮崎豪vs齋藤彰俊&バイソン・スミス)の試合中、齋藤のバックドロップを食った三沢が心肺停止状態に陥り、
頸髄離断(けいずいりだん)で死去。46歳での早すぎる死は、大きな衝撃と波紋を呼んだ。

「三沢さんはどんなケガをしていても休まなかった。キツかったと思いますけど、『大丈夫だよ』ってずっと言ってる人でした。
それが亡くなる半年くらい前に、『社長、大丈夫ですか?』って聞いたら、『いや、ちょっとキツイな』って初めて言われた。

最後に三沢さんと言葉を交わしたのは、広島大会の前日の大阪でした。僕は腰の状態がひどかったんで、
朝、ブロック注射を打ちに東京に戻るところでした。ホテルを出るときに、ちょうど三沢さんが飲んで帰ってきたんです。

『大丈夫か?』『いや、今から東京帰ってブロック注射してきます』『ちゃんと見てもらえよ』。言葉としてはそれが最後です。
三沢さんは首の調子が悪くてほとんど眠れなかったらしくて、飲まざるをえなかったみたいです」

三沢の首は、とてもリングに上がれる状態ではなかった。
同時に秋山も、GHC王者でありながら、腰椎椎間板ヘルニアで歩行するのも困難な重症だった。

「東京で治療した後、試合ギリギリで広島に入って。
試合を終えて戻ってきたときに三沢さんが(試合の出番を)待っていたから、ちょっと軽く会釈したんですが、言葉は交わしてないです。

で、僕が(試合後の控室で)腰を治療しているときにみんなが走り回っているのを見て、『なんかあったの?』って。僕は動けなかったので、這(は)ってリング近くまで行ったんですけど」

あの大混乱のリング上で、秋山の姿だけ見当たらなかった理由がわかった。這ってリングを目指したが、途中で控室に連れ戻されたのだという。

「その後、僕も救急車で病院に行ったんです。またブロック注射を打っても痛みがひかなかったんで、静脈注射を打ち、やっと痛みがひいた。病院を出た後、三沢さんが亡くなったと聞いて、『嘘だろ』って。

その後、次の試合どうするかっていう話になったんですが、こんな状況のときに自分は何もできない、チャンピオンとして申し訳ないっていう気持ちでいっぱいでした」

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